創造論を考えよう at 東京ビリングストーン教会

ベイズ理論による奇跡の評価と信仰

さすがに、長文をどかんどかん出すのは厳しいので、
小分けにしていきたいと思います。
読むほうも疲れますよね。

さて、ベイズ理論の話でした。
ベイズ理論は、いろいろ批判はあるものの非常に有用な確率論のツールです。
迷惑メールの判定に使われたり、潜水艦の探査などに使われたりもしました。

特徴は、ある事象が起きる前と、起きた後で、確率の価に変動を見ることができるということです。

まるで、人を信頼するときはこれと同じ形を取ります。
初対面ではある程度、みんな同じ信頼度を持っていますが、
いろいろ付き合っているうちに信用にたるか、足らないかで、
その信頼度、つまり裏切られる確率は変動していくわけです。

AさんBさんの信頼度は共に50%だったとしましょう。
でも、ある事件を通してAさんは信頼にたる行動をしてくれました。
Bさんはどうも裏切ったようです。
この事件が終わった後の信頼度は、Aさんが70%・Bさんが20%になった・・・。
こんな感じで、人間の認知と行動は決定されていきますね。

ベイズはこれを数式化しました。こんな数式です。
f0213901_19472448.gif

P(A)、P(B)は事象A、Bが起きる確立です。
で、P(A|B)は事象Bのもとで事象Aが起こる確率。
左辺のP(B|A)は、事象Aのもとで事象Bが起こる確率。

何言ってるかわからないところですが、P(B)は事前確率と呼びます。
これは、事象Aがまだ起こっていないときに予想される確率ですね。
で、実際ある確立で事象Aが起こったときに、
事前確率は、係数「P(A|B)/P(A)」分だけ変更になると言うものです。

がんの検査を考えて見ましょう。
病気ならば99%の確立で陽性反応がでます。
病気でないときは95%の確立で陰性反応が出ます。
患者の0.1%が実際に病気だったと仮定して見ます(事前確率)。

で、ある患者が陽性反応が出たとして、彼が病気でない確率はどのくらいでしょうか?

事象Aを陽性がでた。事象Bを病気である。と言うことにして、ベイズ理論によって計算してみましょう。

P(B|A)=0.99*0.001/(0.99*0.001+0.05*0.999)=0.019
これで、陽性のときの実際に病気である確立が出ました。
要請のときに病気ではないという確率は、98.1%であることがわかるのです。

ん?なんだか、陽性でも病気でない確立は非常に高いな・・・。と、
思った方も沢山いると思いますが、ちょっと待ってください。
もともとの、病気である確立は、0.1%なんです。
それが陽性反応によって、1.9%まで絞り込めている!と言うのがミソです。

つまり陽性反応という事象によって事前確率0.1%は事後確率1.9%に変化したのです。

ベイズ理論は、このようにたった1回の検査でも、
その真実性を大きく絞り込むことができたりするのです。


迷惑メールの判定は、そのメールが迷惑メールなら、事後確率を増やし、
迷惑メールでないなら、事後確率を減らす方向に補正をかけて、
また次のメールを判定して、さらに正確な迷惑メール判定を打ち出す・・・。
といったプロセスです。


こんなベイズ理論を信仰に用いちゃおうって言うのが、
すごいところですね。それは次回です^^

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# by creation_tsunya | 2010-03-09 09:29 | 創造論

すばらしい逃亡劇:多元宇宙論

f0213901_8485456.jpg

このような、絵を科学雑誌ニュートンなどで見たことがある人もいるかもしれません。
これが多元宇宙論のイメージ図です。
もちろんいろんな多元宇宙があるのですが、
泡のように沢山の宇宙があってそのうちの一つが私達の宇宙だという考えです。

宇宙という英単語は、Universeですが、"Uni-"という接頭語は一つという意味です。
英語が発生した当時に、宇宙は一つである、
という世界観を持っていたからそうなったのでしょう。
(もちろん、聖書は宇宙がUniverseだと明確に主張しています)

そんなものを文字って、多元宇宙をMultiverseなんて表現したりします。


さて、この多元宇宙論が何で提唱されたのか?

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# by creation_tsunya | 2010-03-05 09:46 | 創造論

物理学からみてみる

ここからは、すこし絶対者、つまり作り主の存在証拠を追ってみたいと思います。
天文学については少し触れました。
宇宙に始まりがあるとすれば、自動的に作り主を必要とします。というやつです。

さて、今回は物理学から考えてみたいと思います。

ちなみに、この辺は「宇宙は神が造ったのか?」という本から論理をいただいています。


物理学は、この宇宙をモデル化して記述する学問です。
良くそのモデルを方程式で表現するので、物理ではたくさん数式を使います。

さて、物理の方程式に出てくる、物理定数というものがあります。
この物理定数が、重力や核力や電磁力などのいろいろな力、
その大きさなどを決めているのです。

さて、問題はその物理定数の多くが、生物が生きれるように、
非常によく調整されているということが最近わかってきました。


重力を例にとって見ましょう。

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# by creation_tsunya | 2010-02-26 02:57 | 創造論

創世記1:1から見る神様の愛

創世記1:1シリーズもこれが最後になりました。

『はじめに、神は天地を創造された』

この節から、創造主が持つべき性質などを詳しく見てきました。
繰り返しですが、それは永遠・自存・人格です。

さて、今日は『天地を』に焦点を当てたいと思います。

天地は英語で言うと「the heaven and the earth」
ヘブライ語原典では 「 את השׁמים ואת הארץ׃ 」(エト ハシュミーム ブエト ハエレツ)です。

英語がほぼ原典どおりに訳されていますので、英語を見ればわかりやすいと思います。
天とは空間としての役割を担うもの、物理学的に言えばxyz軸だといえます。
そして、地とは地球、つまり、私たちがいま足を乗っけている地球だといえます。

なんと、創世記によれば、地球が一番最初に作られるのです。
光さえないときのことでした。

私は、まだビッグバン理論の持っている危うさ、
現行の太陽系進化論の持っている危うさ、
さらに生物進化論の持っている危うさについて述べていません。
これを順々に述べるわけですけど、今は、それらは怪しさを持っているとだけ認識してください。

つまり、私たちが良く知っている、NHKスペシャルとかでよくやる、
地球の歴史46億年ていうやつは非常に危うい理論だということです。
私たちは、宇宙のでき方も知らないし、太陽系が出来上がり方も知らないといってよいのです。

さて、創世記は地球を一番最初に作ったと書いてあります。
これは非常に重要な意味を持っています。
つまり、地球が非常に特別な場所であると、聖書が言っていることになるからです。

地球が宇宙全体からしても非常に得意な存在であることも後で見ますが、
科学的な観測事実は地球が非常に特別で恵まれているということです。

聖書は、最初から地球を特別なものとして扱います。
人間が住む入れ物だからです。『天地』は人間が生きるに必要な入れ物なのです。


ビッグバン、太陽系進化、生物進化のもたらした、
大きなパラダイムシフトは何だったでしょうか?
それは、この宇宙が、この地球が、私たち人間が、
取るに足らないもの、別にどこにでもあるマイナーなものであるとしてしまったところにあります。

つまり、この世の造り主である神様の役割を排除して、
人間をその神様の統治から解放し、真の自由をもたらそうとしたのです。

しかし、歴史はそうならなかったことを物語っています。
それらの思想は、神様から人間を開放したかもしれませんが、
人間は別のものに縛られて生きるようになりました。
金に、名誉に、快楽に、罪に、そして人間自体に・・・。

進化論のもたらした社会的な影響は悲惨なものでした。

進化論は、社会主義を推し進めました。
進化論は、ドイツのナチスの思想基盤でもありました。
進化論は、世の中の悪い人たちの使い勝手の良い道具になったのです。

主なる神様からの解放は、人間を自由にするのではなく、
自身の罪にさらに強く縛られ、自由を奪う結果をもたらしました。

このすべての出発点は、宇宙を、地球を、
そして、人間を取るに足らないものと考えたところにあります。


しかし、聖書は真っ向からそれに反対します。
創世記1:1で作られたのは、宇宙であり、地球であったのです。
人間は、用意周到な6日間の創造の後に最後の日に作られます。
すべてが特別な存在として創造されたと書いてあります。

創造主は人格を持っていなければならないといいました。
この人格の基本的な性質は何でしょうか?

たとえば、熱帯魚を飼う事を考えましょう。
熱帯魚を飼うのは結構骨が折れます。
水槽を用意します、砂とか家とかを用意します。
水槽なんかはやして、そしてポンプも買います。
水もPHを図ったやつを入れなければなりません。
照明とか温度もこだわりが必要になります。

そうして初めて、すべての準備が整って初めて熱帯魚をその水槽に放すのです。
この時私たちはどのように熱帯魚を離すでしょうか?

「元気にそだってね」

この心で、離すと思います。
誰も「おまえ、今日から支配してやるからな!」といって離しません。
いろいろ、準備したのは、なぜですか?
熱帯魚が好きだからです。愛しているからです。
だから「元気にやってくれ」という気持ちで離します。

主なる神様も同じです。
特別な存在として人間を作ろうとされました。
そして、天地から造り6日間の創造をなさって最後に人間を作り離すのです。

この時の神様の心は、愛である以外ありません。

熱帯魚を飼う時にそれに関する道具をすべてを特注品で、
いや、自作して作ったとすれば、その愛はどれほど深いのでしょうか?

創世記1:1、天地を造られた、そのとき。
神様の心は愛でありました。
人間が生きるための入れ物、「天地」を自作ですばらしく特別に造られたのです。
一番最初にです。


勘違いしてはいけません。
別に地球の周りに太陽が回っている、天動説を復活させているわけではないのです。
主なる神様の関心の中心はどこにあるのか?ということです。
それは地球であり、人間であるのです。

つまり、ホーキングスが言った言葉、

「何千奥にも及ぶ銀河系のひとつのそのはずれに位置する、
きわめて平均的な星のマイナーな惑星に住む、
全く持って取るに足らない生き物が人間である。
だから神が人間のことを気にかけている、
あるいはわれわれの存在に気づいていることすら、私には信じがたい。」

というのは、聖書の言葉から完全に否定されるのです。
地球は、非常に特別な位置にあります。
実際的にも、また神様の意味合いにおいても。

人格的な神様の性質は愛です。
人間を愛し愛しぬかれた神様の愛が、既に創世記1:1に表されています。

これから、物理学、地球惑星物理、情報学、などなどから興味深いトピックをあげていきましょう。
途中で、科学と宗教の関係や、進化論に対するチャレンジなども含まれます。
ながいっすね。

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# by creation_tsunya | 2010-02-24 00:45 | 創造論

創世記1:1続き

創世記1:1
『はじめに、神は天地を創造された』

『はじめに』だけで、かなりいきました・・・!
この始まりの科学的な考察から、はじめた主体である神という存在は、
永遠・自存・人格を持っている存在でなければならないのです。

創造主になれる条件がある程度決まっているのは、驚くべきことです。
論理一貫した枠組みの中で、神様というものが表されているのです。
つまり、神様だからなんだっていいじゃん、というものはできないのです。
ですから、聖書の神様は、理論的な帰結として創造者の役割を担うことができます。

これは私たちの印象とは違います。
神様といえば、なんでもありのオールマイティで、
あらゆる制限を受けるような存在ではない・・・と思いがちです。

しかし、実は創造主というものはある論理的な縛りをもった存在です。
驚くべきことに、聖書の神様が持っている性質が全くそれと一致しています。

ある縛りの中で、条件が一致しているというのは、
すなわち、その創造主が聖書の神様であると、
論理的な帰結としてイコールで結ぶことができることを意味しています。
私がそれであると、はっきりということができるように「調整」されているのです。


さて、今回は「神は~創造された」を見てみましょう。

この文章は、非常に面白い文章になっています。
主語である「神」は、エロヒームです。
ヘブライ語では、複数形で表現されている言葉です。

じゃあ、神々??え?聖書の神様はひとつじゃなかったの?
なんて言っている方、あせってはいけません。
ここで、神々と訳さなかったのは、理由があります。

動詞の「創造する」という単語「バラー」は、
単数の主体が動作するときの表現を使っています。

つまり、この文章、主語が複数にもかかわらず、動作は単数なのです。
これは、全く理解できない文章です。
創世記は文法的に間違ったのでしょうか?

そうではありません。
この文章を理解するためには、ある神学的な教理を理解しなければなりません。
いや、この教理は理解できないのですが、とにかく知らなくてはいけません。
つまり、それは三位一体です。

三位一体とは、神様は三位(三つの位格:人格に近い)を持ちながら、
一つの存在として働くという意味です。
父なる神、子なるイエスキリスト、霊なる聖霊の三位がありながら、
神様はひとつなのです。

はい、理解できません。というか理解できないのが自然です。
なぜって、これは信仰の問題なのです。
旧約聖書を認める一神教は、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教です。
しかし、三位一体を認めるのはキリスト教のみです。

どの教科書見ても、認識されて分類されてませんが、
この三つの一神教の神様は同じ神様ではありません。

ユダヤ教徒、イスラム教がこの創世記の文法的矛盾を、どう理解しているかわかりません。
しかし、キリスト教では矛盾とはみずに、三位一体を見ることで理解します。

つまり、こういう風になります。
複数で表現された神とは、まさしく三位一体の神様をあらわします。
三位がいるので複数で表現されているのです。
しかし、一体である、つまり神様はひとつなる方なので、
動詞は単数で表現されているのです。

『神は~創造された』から、三位一体の神様を見ることができるのです。


『はじめに、神は~創造された。』から、神様の大切な性質を導き出してきました。
それは、永遠・自存・人格・三位一体です。
もちろん、この世の中をスタートさせたくらいですので、
全知・全能であるというのはそんなに難しくありません。

創世記1:1のみことばから、神様の性質のほとんどを導き出すことができます。
これは本当に驚くべきことです。
聖書が一番最初から、ものすごい論理で、
すごい緻密な計算のされた伏線を張り巡らせていることになります。

まさしく、聖書は『神の霊の導きのもとに書かれ、』です。

この聖句をみて、かの新島襄はクリスチャンになりました。
そのくらいに、この聖句は重要です。大胆です。力があります。
主が、隠された大いなる計画。大いなる真理。
これを調べることは大きな祝福であります!!

さて、最後に『天地を』を詳しく考えて、神様の愛を引き出したいと思います。

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# by creation_tsunya | 2010-02-20 00:05 | 創造論



福音的な立場で創造論を考えていこう

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