創造論を考えよう at 東京ビリングストーン教会

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有神論的進化論パート3

今回考えるのは、死の問題です。

人間が、共通祖先を持って進化してきたとするのであれば、
人間が死ぬ前に、何万世代という動植物の死が存在したことになります。

聖書は、創世記3章でどのように言っていたのかご存知ですね。

『お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。
塵にすぎないお前は塵に返る』創世記3:19

創世記3章では、アダムが罪を犯したから、土は呪われ人間は死ぬ存在となったと書いてあります。
ここから「死」というものが始まるのです。
「死」の原因が「罪」の問題であるからこそ、逆説的に人間には救いがあるのです。
イエスキリストによって救われるということは、罪の赦しであり、
それは死の問題の根本的解決法なのです。

だから、

『神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。』ヨハネ3:16

この宣言が大胆に聖書ではなされているのです。
罪から出発した「死」の問題の解決は、罪の赦し、つまりイエスキリストを信じることにあり、
それを通して、死から生へ、永遠の裁きから永遠の命へとうつっているのです。

アダム以前に死があったんだとすれば、死の根本的原因はなんだったのか?
なぞになります。
何のために、イエスキリストが死んだのか?理由がわけ分からなくなります。

聖書以外で、人間の死の根本的理由を述べた書物はありません。
「死」は明らかに、「罪」が原因であるのです。

よって、人間が生まれるまでにたくさんの死が必要な進化論は、
神学的に受け入れることが出来ません。
これは、イエスキリストの十字架の死の神学を根本から覆してしまうのです。


さらに、「死」を乗り越えた存在としてのイエスキリスト、
復活した、正確には復活させられたイエスキリストの神学も弱くなります。

私たちの永遠の命の証しは、イエスキリストの十字架の死と復活にしかないのです。
これが揺らぐ神学は受け入れる価値はありません。

ペテロがこういっています。

『あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、
キリストによって信じています。
従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。』1ペテロ1:21

進化論が、人間以前にたくさんの「死」を必要としている限り、
聖書の神学と真っ向からぶつかります。
しかも、それは私たちの希望である、救いに関する神学、
永遠の命に関するものの意味を陥れるのです。

この意味で、進化論は神学的に受け入れることは出来ない思想なのです。
私たちが、イエスキリストに希望がない、
もしくわ、薄いとするのであれば、私たちに生きている意味があるでしょうか?
そんなものは、ないのです。
有神論的進化論は、ここで破綻をきたすのです。

さらに、ノアの箱舟の問題にも関連していきましょう。

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by creation_tsunya | 2010-05-26 21:14 | 創造論

有神論的進化論2

有神論的進化論は、現代の宇宙物理や生物学の微妙な場所を内包しながら、
創造主による導きを肯定して、聖書をも否定しない、という主張でした。
さて、今日はその問題点について。


有神論的進化論は、科学の面においては何の問題も生じません。
そのあたりは、全てを受け入れているので、そりゃあそうですね。
一般啓示から人間の理性が考えたものを重要視しています。

さて、一般啓示と特別啓示がぶつかったときは、
どうしてもどちらかの主張を妥協しなければなりません。
で、有神論的進化論はやはり無心論者が考えた進化論の土台に立つため、
聖書解釈を妥協しまくるんですが、それは容認できない程度にまで来るので、問題なのです。

もちろん、この辺は発展途上ですから、
みことばとのうまい妥協点が図れる主張が未来生まれるでしょう。


さて、神学上の問題は何点からあります。

まずは、軽いものから紹介します。
それは、創世記1章で出てくる「一日(Yom)」の解釈です。

創世記では6日で天地が創造されるのですが、137億年を受け入れた瞬間に、
この「一日」というのが、約24時間を示す「一日」とはありえなくなります。

で、聖書解釈上この「一日」を「一時代」と考えれば解決すると考えています。

『愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。
主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。』2ペテロ3:8

この解釈を適用しているのです。
しかし、これは大きな問題をはらんでいます。

第一に、創世記においては、この「一日(Yom)」という言葉が、
長い時代という意味で使われたことが一回も無いということ。
創世記1章のみを特別扱いする解釈は、恣意的としか言いようがありません。

1日目と2日目の間に、大きな時間的隔たりがあると解釈する人がいますが、
天地創造はこの6日間の連続的な流れで出来上がっていくことに意味があるのです。
ビッグバンと、聖書を無理やりにこねくり回した、苦肉の策としか言いようがありません。

さらに、ビッグバン宇宙論によれば、太陽系進化は太陽が先ですが、
創世記は地球が先です。その後に太陽、月を作って、地球を回したと書いてあります。
聖書の記述を捨てるっていうなら問題になりませんが、そんなことは本末転倒です。
この矛盾は決定的に解くことが出来ません。

(ちなみに、太陽系の歴史がどのようだったかは、いまだに謎です。
天文台で天文学者に聞きましたが、分からない。と正直に答えられました。
系外惑星で、太陽の自転と反対に回る惑星が発見されたりして、どんどん謎になっていっています。)

創世記に長い時代という意味で「一日」が使われていない以上、
創世記1章の「一日」は地球自転一回転分の約24時間と解釈すべきであるのです。

こうして始めて、一週間は7日間であることに意味が生まれます。
人間にぴったり合った、周期は7日間です。
人間に合わせて、全能なる主なる神様が、
わざわざ7日間 『も』 かけて天地創造をした、というのが本当のところです。
どこまでも、人間に合わせてくださる神様の愛を見ることが出来ます。

ちなみに、6日間で天地創造した科学的根拠なんて無いです。
聖書以外に根拠はありません。
若い地球、古い地球の話は、別の機会にしたいと思います。これも重たい・・・。


さて、「一日」なんていう問題はまだまだ序の口です。
次はかなり大きな問題、「死」の問題です。
扱っていきましょう。

考えるべきは、死はどこから来たのか?です。

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by creation_tsunya | 2010-05-26 09:06 | 創造論

どんどんコメントだ!

ご自分のブログをもてるのではないかと思うくらいのコメント数です。
これだけ、気になったので取り急ぎ^^;;

------------引用-------------------

以下をそのまま読めば天動説になるでしょう。

詩篇96:10
もろもろの国民の中に言え、
「主は王となられた。世界は堅く立って、動かされることはない。
主は公平をもってもろもろの民をさばかれる」と。
104:5
あなたは地をその基の上にすえて、とこしえに動くことのないようにされた。

ある牧師と進化論について議論した時に3000年くらい前に書かれた旧約聖書の記述を、
現代分子生物学の成果より重視していることに驚いた覚えがあります。
ただ、今日では、聖書の記述は象徴的な意味として受け取るべきであるとするキリスト者が多数であり、
キリスト者だからといって、天動説を信じているわけではないでしょう。
むしろ、「地動説を迫害したのは、当時のカトリック教会やルターの間違いだった。」とする、
キリスト者が普通と私は考えますが、、

--------------------引用終わり-----------------

取り上げるのはずっと後になると思いますが、
教会が地動説自体を批判した歴史はありません。

天動説、地動説の話はややっこしいのです。
当時の科学界の流れなどを追わないと解けない問題なのです。

ちなみに、天動説でよいと主張したのは教会ではなく、裏に隠れていた科学者でした。
教会は、コペルニクス(だったかな・・・)が三位一体を否定したために、
彼を大きく批判の的にしたまでで、抱き合わせで地動説も犠牲になったようです。
残念な歴史ですね。
しかし、これも人間の罪が見え隠れするケースです。


詩篇などの、みことばがコメントされていました。
聖書を字面どおり読むのは危険です。
文脈において、また神学に照らし合わせなければ、無理でしょう。

詩篇96:10
もろもろの国民の中に言え、「主は王となられた。世界は堅く立って、動かされることはない。
主は公平をもってもろもろの民をさばかれる」と。

「主が王となられた。」と書いてありますので、これはヨハネの黙示録からすると、
主の再臨のときの姿であることは容易に想像できます。
んで、主が再臨なさったときは、新天新地(どんなところかは、わかりません^^)に変わりますので、
「世界は堅くたって」の世界は、現在の世界ではありません。

これを天動説支持のみことばとかいう人は、かなりの堅物か、旧約聖書しか読まない人ですね。
詩篇104編も同じです。

というか、聖書の一節を持ってきて、これがこの主張を支持してるんだ、とか言うのは馬鹿げています。
聖書は、それ全体で補完的な特別啓示ですので、一節を取ってきてどうこう言えません。

ある一節は、父母を敬え、しかし、ある一節は父母を捨てろ、と両方聖書にありますが、
片方だけを取り出して、聖書はけしからん!とかいえないのと同じです。

ということで、天動説を支持する聖書の記述はありません。
もちろん、地動説を支持する聖書の記述もありませんが^^


それと、3000年前の聖書の記述が、
現代の分子生命学の成果よりも重視していることに驚かれていますが、
残念ながら、分子生命学は、3000年後にどうなっているかわかりません。
それは人間の営みだからです。ころころ変わっていきます。

しかし、聖書は既に3000年一字一句変わらず保存されて来た歴史があります。
その存在自体が、聖書は神のみことばであることの権威を証明しているのです。

その意味で、現代の科学よりも聖書を重要視しているのはごく普通のことです。
ただし、重要視しているからといって、信仰を科学の場面に持ってきてはいけません。
聖書の記述から、進化論を否定することはできないからです。科学としての議論の中ではですけれど。
無論、宗教の議論であれば、否定します^^

このあたりは、神学の話をしなければならないので、かなり込み入りますね^^
人間の理性を取るか、神様の主権をとるかは、神学でも大論争してます。解決はありません。


現代の分子生命学がどれだけ発展して、聖書記述と反対のことを言っていたとしても、
聖書批判学と言うものが、聖書の権威を落としいれようとしても、

福音主義のひとりの神学者として言いたいのは、

「それでも聖書は、正しいのだ。」(ガリレオっぽく)

であります。
では、有神論的進化論にもどりますね。

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by creation_tsunya | 2010-05-26 01:57 | 創造論

有神論的進化論パート1

さて、有神論的進化論について考えるときがきました。

はじめに断りますが、
このブログでは、私は若い地球の創造論の立場で書きます。
しかし、一つの立場に固執する必要は無いと思います。
それぞれの信仰に応じた、立場をとればよいのです。
なぜって、聖書は誤謬のない書物ですが、人間は間違いだらけですので、
人間の思想やらに信頼をおいてはいけません。

この辺は、カルバン主義なのか、アルミニアン主義なのか?というような論争に似てきますね。
これは、やはり、主なる神様という存在が、
人間にとって大きすぎて、はっきりとは認識できないことが原因となっています。
こういう場合は、やはりそれぞれの信仰で判断することが求められているのです。

さて、以下コメントの引用です。

---------------------引用-------------------

ゲノムと聖書:科学者、〈神〉について考える フランシス・コリンズ著

フランシス・コリンズはヒトゲノム計画をリードし、
遺伝子の全塩基配列の解読に成功した著名な生物学者であり医師でもあります。
彼は有神論的進化論を提唱しています。

1.宇宙は、約140億年前にまったくの無から現れた。
2.宇宙の物理定数は、生命が生存できるように寸分の狂いもなく正確に調整されているようだ。
3.地球上での生命の起源の正確なメカニズムはまだ解明されていないものの、
生命が現れてからは、進化と自然選択の過程を通して、
長期間を経て生物的多様性と複雑性が発達 していった。
4.進化の過程が始まってからは、特別な超自然的な介入は必要ない。
5.人間もこの過程の一部であり、類人猿と共通の祖先を持つ。
6.しかし人間には、進化論では説明できない唯一無二の部分もあり、その霊的な性質は他の生物に例を見ない。
これには道徳律(善悪を知る知識)や神の探求などが含まれ、
歴史を通してすべての人間の文化に見られる特質である。

私は進化論と神による創造の両者の融和は可能ではなかろうかと思っています。
それで、この「有神論的進化論」に出会いました。

-------------------引用終了----------------------

はい、センセーショナルな説が有神論的進化論です。
私もこの本を持っていますし、読みました。最初の証しの部分は非常に面白いですね。

この説は、現代の科学、物理学、生物学、化学、地質学などの研究をそのまま受け入れて、
さらに、それこそ神という存在をなしには語れないのだ!と主張しています。

現行ビッグバン宇宙論の宇宙年齢137億年も受け入れ、進化過程も受け入れるので、
今科学をやっている無神論者たちが、クリスチャンに戻って来やすくなる道を開いているとは思います。
科学と宗教は分けて考える必要は無いんだと大きく主張し、
その両者をよく考えるきっかけを作ったのです。
カトリックでは、教皇がこの説を支持したことがあります。

ただ、科学者的には、いろいろと受け入れることが出来る一方、
神学的にはちょっと受け入れられないことを含んでいるため、
有神論的進化論は、神学的には受け入れられない、というのが正直なところです。
特に人間の理性を信用せずに、聖書を信用する福音主義においては。
これは、啓示の話をしなければなりません。


主なる神様、ここでは創造主なる神様が人間にその姿を現すことを啓示といいます。
啓示には、特別啓示と一般啓示があるのです。

特別啓示は、聖書、奇跡、幻など、事象がひとつしかないものばかりです。
現代においては、聖書が特別啓示のほとんどを担うことが出来るため、
奇跡とか幻という形で創造主が啓示されることはかなりまれです。

一般啓示は、大きく三つ。
自然、歴史、良心です。
良心についてはCSルイス博士が非常に詳細に「キリスト教の精髄」のなかで語っているところです。
引用中の6番の道徳律はこれにあたります。
さらに、歴史は歴史の流れも神様の導きがあるというものです。
歴史神学という分野はキリスト教にしかないユニークなものだと思います。
そして、自然はいま考えているものです。

人間は、一般啓示からも創造主なる神様の形を読み取ることができます。

「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、
これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。」(ローマ1:20)

このみことば通り、被造物世界を見れば大丈夫だと書いてあります。
しかし、人間の知覚・認識を通して見るので、どうしても生の創造主と言うものを見ることができません。
人間には、必ず特別啓示である聖書が必要になってくるのです。

カルバン主義においては、人間の完全な堕落を主張しますので、
一般啓示からの創造主の形は、かなり曲がっていると考えます。
実際、一般啓示のみからイエスキリストまでの道はかなり遠いです。

聖書という特別啓示があって初めて、一般啓示で啓示されている創造主が、きちんとしたものとして繋がるのです。
愛であり、人格であり、義であり、聖であり・・・。
と言う神様の形は特別啓示がなければなりません。


要は一般啓示である自然科学と言うものから、創造主の存在を語ることはできます。
これが、このブログの一番最初のモチベーションでもあります。
しかし、その創造主がどのような神様であるかどうか?は、特別啓示、聖書を見なくてはいけないのです。

問題が生じるのは、一般啓示と特別啓示が調和しない場合です。
自然科学の記述と聖書の記述がかみ合わない場合はどうすればよいのか?

神学的な立場からすれば、特別啓示の解釈を曲げることなく、
一般啓示の記述が変わることを祈るしかありません。
聖書は、誤謬が無い権威ある書物として認めるならばなおさらです。


このような枠組みで、創造論や有神論的進化論を考えて見ましょう。
創造論者は、聖書解釈をそのままに伝統的なものを採用し、
科学記述が修正されることを祈っているのです。

私が、ブログで書いたとおり、たとえば現行ビッグバン理論による宇宙年齢137億は、
現行ビッグバン理論の宇宙が平坦であるという仮定を破れば、137億の答えは崩れます。
そんなことを考えている科学者はほとんどいないので、
その物理学的挑戦は全く進みませんがね・・・。


さて、有神論的進化論は、一般啓示である自然科学の記述を受け入れた代償として、
特別啓示である聖書の解釈を曲げなければいけない場所があります。
それは、問題ないようなものと、問題大有りなものとを含みます。
代表的なものを次回あげましょう。

たとえば、よく取り上げられるのは、創世記1章における「一日(Yom)」の問題です。
そして、「死」の問題です。
さらに、ノアの箱舟の問題。などなど。

P.S.
山本様のコメントは、その通りです。
生物学をそのようなものだ!といってしまえば、その通りとしかいいようがありません。
しかし、系統樹を決めているデータは良いとして、
最終的に系統樹として共通祖先がいると決定しているのは、人間です。

量子宇宙論でやったように、現存データを非常に良く説明するように見えても、
積極的な物理学的理由がないのに、量子宇宙論を採用するのは、
それを採用している人が、無神論者だからです。

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by creation_tsunya | 2010-05-25 21:29 | 創造論

進化論は宗教の時間に学びましょう

進化論を学ぶにベストな時間は宗教の時間です。
なぜでしょうか?

進化論者たちは、どうも気がつかないのか、
気づいても意図的にかくしているのか分かりませんが、
進化論という科学(私から言わせれば自然科学ではない)は、
暗に創造主を排除しているということです。
つまり、唯物論的で、無神論的な信仰の土台にたって構築されているのです。

その前提自体に創造主という存在の可能性を認めていないので、
そんな進化論から見れば、創造論は似非科学ということになります。
当たり前ですよね。
創造主を否定している土台から、創造主を認めている論理を見ているんですから。

そんな進化論者たちから、創造論はキリスト教的な信仰だよね?とかいわれるんです。
いやいやいや、進化論自体が、無神論的信仰だっつーのに!
と突っ込みたくなります。

進化論は、自然科学のようなフリをして多くの論文を出し、
進化過程を裏付ける決定的証拠だ!なんて論文が沢山あるわけです。

最近多い論文は何か知っていますか?
進化論は、常に利他行為を認めることが出来ないが、最近そうではないとされつつあります。
利他的行為を示す群のほうが適応度が高くなる傾向があるという主張がブームです。
つまり、人間に見られる利他行為は進化の産物だともいえると主張したいのです。

しかし、このあたりは、すでに進化論者からも批判が出ていますが、
何でもかんでも利他行為に当てはめるのはよくないと。
進化論はブームに流されやすいのもです。


このような、趨勢の中で創造論的な論文を出して査読されたらどうなると思いますか?
その査読は通らない可能性が高いのです。いや、間違いなく通らないですね。
査読者は権威ある博士たちですから(その権威はもちろん進化論者が握っているのです)、
本当に科学というものの限界を分かっている人たちでなければ、はなっから読みもしないでしょう。

こんなからくりで、ID論を擁護する査読付き論文なんてものは存在出来なくなります。
進化論が広く受け入れられている世界で、
有神論的な仮説を立てるのはドン・キホーテ以外の何者でもないのです。


実際、アメリカでは、創造論を指示すると宣言した教授が、
何人も大学や教育界から排除された問題が起きてドキュメンタリー番組になりました。
(この番組で始めてドーキンス博士の生声を聞きました^^)

そもそもの前提としている土台が違うので、議論もダメだったわけです。
創造論者たちには非常に分が悪く、肩身が狭いのがいまの科学界です。

宇宙論でも同じようなことが起きています。
宇宙って、一つなので(これも諸説あるのですが、とりあえず観測できる宇宙は一つです)、
宇宙の歴史なんてものは、科学の問題ではないんですが、
現行ビッグバンは、暗にそれを含んでしまっています。

量子宇宙論、インフレーション宇宙論なども、無神論的な立場から今のデータを見たら、
そのような仮説を立てることが出来るというだけであって、
有神論的な立場からデータを解析、仮説を立てようとする試みも出来るのです。

実際、そのような物理を構築することも可能です。
ホワイトホール宇宙論というらしいですが、発展途上・・・ですね。
残念ながら、それはビッグバンに比べると説得力の欠けるものになっています。
だって、研究人口が違いすぎますもの!


見てきたように、進化論だとか、宇宙論だとかのフロンティア研究には、
創造主に対する信仰が大きな役割をしています。

真に平等な立場を取るとすれば、
創造主がいるいないという問題は、どちらを自由に選択してもよいはずです。

創造論が、創造主の存在を信じていると同じように、
進化論は、創造主が存在していないことを信じているはずです。
このように、同じ舞台でお話すればよいのではないでしょうか?

理論の中に、必ず創造主のいるいないを議論しなければならない論は、
やはり、宗教の時間に学ぶべきものであるといえます。


さて、問題をまとめます。

科学は真理ではありません。非常に不確かであいまいなものです。
科学は事実でもありません。事実に人間の思想(時に信仰)を着せたものです。

科学の弱点はデータが少ないとき顕著です。
歴史というのは科学することは出来きません。

よって、進化論、宇宙論、創造論などにおいて、
歴史を扱う分野は、宗教の分野での議論も必要となってきます。


さて、このような状況で、もう一つの主流がアメリカから出ました。
これは昔から考えられていたものでしたが、
ID論が裁判で負けたので、多くの科学者がこちらに移ってきたといえます。

それは、有神論的進化論と呼ばれるものです。
進化過程を創造主が導いている、とするものです。
いま、科学者が考えている進化論、宇宙論をそのまま受け入れて、
その仮定を創造主が主権を持って導いているのだ!という主張です。

非常にセンセーショナルな主張です。
全てにおいて、何の矛盾もなくなる様に見えます。
しかし、これは、神学的な落とし穴を作ってしまう危険があるのです。
次回にそれを見たいと思います。

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by creation_tsunya | 2010-05-22 23:33 | 創造論

自然科学が弱いところ・・・

それでは、問題はどのような場合に出るのでしょうか?

科学はデータが1つ、とか2つとかいうときに弱くなります。
3つめが違ったデータを出せば、それは本物か偽者か分からないからです。

この時の傾向は、科学者が仮説の立て放題状態で何百もの仮説が出てきます。
で、仮定に仮定を重ねて、物理的に化学的に正しそうなものを、正しそうな仮説として受け入れ始めるのです。
しかし、データが少ないので、新しいデータが出た瞬間、仮説が一気に刷新するなんてこともありです。

100年以上も科学者が存在を信じていたエーテル問題はまさにそれでした。
科学者は、真空は完全な真空ではないと信じて、エーテルで満たされているのではないか?と考えました。
光もエーテルを媒質として伝わると考えていたようです。
直接的なデータが無いにもかかわらず、仮説に告ぐ仮説で、固められていきましたが、
アインシュタインによって、「そんなものは無い!」とされ、エーテル信仰はきえました。

かのマクスウェルでさえ、エーテルを前提に考えてマクスウェル方程式を立てたみたいです。
それでも、正しかったのは、現象から導き出した方定式だったから。直感ってすばらしいですね。
(面白いのは、その後の真空状態というものの推移です。
現在でも真空とは絶対無ではないというのが、主流です。
物理学的には「絶対無というのは無い」のですね。
だから、宇宙が無から出来上がるというのは正しくありません。)

データが少ないという意味では、唯一なる聖書の神様は、科学することは出来ないのです。
まあ、当たり前ですよね。


さらに、いつでもどこでも同じ現象が観測されなければならない。
というデータの再現性を必要とするため、歴史を扱うことは出来ません。

進化論だろうが、創造論だろうが、過去の出来事の話をする限り自然科学ではなくなります。
「進化した」という歴史は科学では扱えないので、「進化したかどうか?」これは自然哲学ではありません。

もちろん、この種とこの種のDNAがどれくらい一緒か?とか、
魚のDNAの中に、人間のDNA配列と同じ配列があるね!とか、
この化石が、どの地層から発見されました、年代は何万年前です。とか
言うのは科学の力でデータとして抽出できます。

しかし、DNAの類似率が高いからと言って、
そこから二つの種は共通祖先から進化しました!といった瞬間、
それは過去に起こった出来事を扱うので、自然科学からは排除されなければなりません。

ドーキンス博士も、どんな進化論者も、このあたりを混ぜて使ってますし、
基本に立ち返らなければならないと思います。
歴史を扱うのは、自然科学の分野ではないのです。

「進化論という科学」の中に歴史科学的な洞察を内包しているといってもよいのでしょうが、
やはり、他の物理学や生物学などいわゆる自然科学から除くべきでしょう。
これはすでに混乱を巻き起こしている問題だと思います。
(進化論者からすれば、これはむしろ都合のよいものなので、誰も直そうとはしません。)

ですから、進化論を自然科学の分野で、とりわけ生物学で教えるのは良くないと思います。
それは、自然科学というよりは、歴史学とか人類学とか考古学とかの時間に教える内容でしょう。

いや、もっとよい時があります、それは宗教の時間です!
次は、そのことについて詳しく考えて見ましょう。どんどん続きます。

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by creation_tsunya | 2010-05-22 19:41 | 創造論

科学は事実+信仰です。

さて、今回は科学は事実でもないって言う点について。

これは、科学のプロセスが「観測」から「解析」、
そして「仮説」というプロセスを経てなされることを考えれば十分です。

観測された、データは事実です。
(この時点で、事実じゃないものをデータ捏造といいます。
恣意的に実験を操作したり、無い観測データをあるように見せかけたり・・・。これは犯罪ですね。)

ちなみに、観測されたデータの復元性も非常に重要です。
ある実験室では、観測されるデータが、違うところでは観測されない!というのは、
どちらかが、間違っていることになります。
このようなことは、よくあります。
ただの装置が出すノイズだったり、環境による変動だったり、
それを拾って「ユリイカ!!」と叫んで喜んび踊るときもあります。無駄になるんですが。

いつどこでも同じ結果が出るって言うが信頼性あるデータといえます。


さて、よく間違えるのは、解析も事実じゃないか!という方がいらっしゃると思いますが、
解析は事実ではありません。
ここですでに、仮説に基づいた解析方法が選択されます。
信頼出来る解析方法だとしても、どのような統計モデルを取るか?によって、
解析されたデータの顔がかわってしまうことが多々あります。

経済指数というのは、ある数字が出ますが、
あの数字を出すのはかなりブラックボックスです。
今後の経済の動向を考えて、やばい数字が出た場合、
計算方法、つまり解析方法を変更してよい値が出るまでやる続けるとのことです。
要するに、解析もある意図があって、その意図のとおりに解析されます。

もちろん、どんな意図を入れたとしても、揺るがないデータというのもありますが。


そして、最後、解析を通して仮説を立てる段階。
同じ解析を見ても、違う仮説を立てることはもちろん可能です。
仮説とは、もちろん論理的に行われるのですが、どのような立場に立つかによって違う仮設になっていきます。
そして、ここには、立っている立場の問題、つまり、人間の思想が含まれます。
その人が、どんな考え、思想を持っているのか?が大切です。
その人の考えですから、そこにはその人の世界観、宗教とか信仰が大きく関わってきます。

つまり、自然科学が自然哲学である限り、哲学の範疇である限り、
人間の思想というのが入らざるを得ません。
というか人間の思想というのが、入らない人間の営みは無いですけれど。
程度の差はあれ、偏見が必ず含まれなければいけなくなるのです。


科学は真理ではなく、不確かであり、
事実でもなく、人間の思想、信仰が大きく関わる問題であるにもかかわらず、
「科学には信頼がおける」と人々が言っているのは、
ほとんどの科学は大量のデータがあって、それらは相互に反復可能だからです。

どの時代に、誰がやっても、同じデータが出ます。
どの時代に、誰がどんな仮説でやっても、同じ解析結果が出ます。
よって、どんな思想、信仰を持っていても同じ仮説を立てざるを得ないという状況がほとんどなのです。

無心論者だって、有神論者だって、古典力学は否定しないし、
太陽の周りに地球が回っているのも否定しません。
(もちろん、科学的には、否定されうる余地はあるんですよ。)


それでは、問題はどこで出てくるのか?
次回はそれを追って、核心に段々迫っていきます。

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by creation_tsunya | 2010-05-22 00:48 | 創造論

科学っていったい何?

科学とは何か?
こんなものは、科学哲学者に任せておけばよいものを・・・とおっしゃるお方もいるかもしれません。
しかし、これを考えないと、通常の生活を歩むのに、
支障をきたす場合も出てくることを肝に銘じなければなりません。

科学は真理か?科学は事実か?

科学は真理ではありません。
科学とは非常に限定的なものであり、不確かなものです。

科学は事実でもありません。
科学とは事実から出発した仮説の連続であり、事実に人間の思考という衣を着せたものです。

つまり、科学とは哲学なのです。(今でも学位は、PhD、つまり、哲学博士ですよ)

さて、一つ一つ見ていきたいと思います。
まずは科学は真理ではないという点を検証しましょう。
ある一つの命題を考えて見ましょう。

「壁に物体をぶつければ、その物体は跳ね返ってきますか?」

さて、Yes Or No?
科学的な答えはどうでしょうか?

答えはNoです。
え?まじですか?壁にテニスボールを投げれば帰ってきますよ?と考えるかもしれませんが、
私たちの目に見えるくらいの大きさの世界ならば、それは正しいのですが、
電子や原子くらいの小さい世界になるとそれは間違っています。

そう、トンネル効果という物理現象により、
壁にぶつかった電子が壁をすり抜けていってしまう場合も存在します。

つまり、これは古典力学では説明できない現象であるわけです。
しかし、この「古典力学では説明できない」という宣言をした瞬間に、
なんと新しい力学、今で言う量子力学の扉を開きました。
このように物理学は発展してきたのです。

これは、見てきた古典力学、量子力学の例だけに拠らず、
現代科学の全ての分野に適用されている原理です。

つまり、それは反証主義と呼ばれるもの。
これは、「全ての科学は否定されうるべき余地を残してある」という主義です。

否定される余地がなければならないというのが科学の条件なのです。
科学は条件付なものであり、決して真理ではありません。
非常に不確かで危ういものだと思ったほうが正しいのです。


さらに、科学は事実ではないという点も次回指摘します^^

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by creation_tsunya | 2010-05-21 08:23 | 創造論

良いコメントを投稿していただきました。

山本直樹さんという方から二つのコメントいただきました。
非常に沢山の問題をはらんでいますので、コメントではなく本文で取り上げたいと思います。
一つ一つが重たいので、まずは一つ目を掲載します。
といっても二つ目のコメントにも非常に絡み合っていますけれど。

---以下引用---

インテリジェントデザインを理科で教えるのは、違憲だという判決の出たドーバー裁判で、
インテリジェントデザインを支持する査読つき論文がないことが示されたそうです。
ID 論の弁証者で有名なBeheさえも認めているのです。

反対尋問でBehe教授はそれを認めた:
いかなる生物学的システムのインテリジェントデザインがどのように起きたかについて、
詳細で厳格な説明を与えるような、実験または計算で支持されるような、
インテリジェとデザインを主張する査読つき論文はまったくない」。
そして、Behe教授の論である、そのような複雑な分子構造が、
"還元不可能な複雑さ"を持つことを支持する査読つき論文はない。
査読つき学術誌に論文を掲載できていないのに加えて、
インテリジェントデザインは科学的研究や検証を取り上げていない。
出典 http://transact.seesaa.net/article/19334918.html God vs. Science

---以上引用終わり---

はい、この裁判は有名な裁判です。
ID論を提唱する側が裁判に負けて、一気にアメリカはID論から手を引いた感じになりました。

さて、なぜID論は負けたのでしょうか?

ID論は知性を持ったものの創造というところにとどまり、創造主という存在が何であるかを明示しません。
これは、教育問題が絡み合っていて、このようにされているのですが、
ID論が違憲であるという判断は、ここに問題ありとされたからです。

つまり、ID論は知的存在というものの化けの皮をかぶったキリスト教の宗教だ!とされたからです。
ID論は科学じゃなくてキリスト教じゃないか!とね。

ID論者たちは、ID論を科学だとして教育界にもって行きたかったのですが、
裁判上でID論が科学的である証拠を持ってくることが出来ませんでした。
ということで、ID論は宗教とされて、ある一つの宗教の主張を公立校で教えることは、
宗教の自由を奪うこととして違憲の判断がなされ、
公立校での教育現場に持ち出すことが出来なくなったのです。

さて、第一に、なぜID論提唱者であるベーへ教授でさえ、査読付きの学術論文にて、
ID論の柱である「還元不可能な複雑さ」を持つことを指示した科学論文はないと答えるしかなかったのか?

これは、興味深い問題です。
科学とは何か?を考える良い機会かもしれません。
結論は、科学とは不確かなものであり、

科学には、必ず信仰が含まなければいけない!

という私の個人的な主張に落ち着きます。
え!科学に信仰が含まれるのですか?と驚く方もいるかもしれませんが、
科学のフロンティアにいた私からすると、科学は信仰以外の何者でもないのです。
もちろん、盲目的に信じているわけではなく、データを見て信じているんですが・・・。

次回から一つ一つ見ましょう。

P.S.
山本直樹さま

二つ目のコメント、有神論的進化論に関しては、この議論が終わったらさせていただきます。
(もちろん、私も持っています。本の中ではバイオロゴスと書いてありましたっけ?)
先のID論裁判に負けた人々が大量に流れ傾いていった説ですが、神学的な欠点が多く残されています。
もちろん、この説はこの説で評価すべきところも沢山ありますけれど。
とりあえず、科学の問題だけですごく長くなりそうです。

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by creation_tsunya | 2010-05-20 19:21 | 創造論



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