創造論を考えよう at 東京ビリングストーン教会

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物理学からみてみる

ここからは、すこし絶対者、つまり作り主の存在証拠を追ってみたいと思います。
天文学については少し触れました。
宇宙に始まりがあるとすれば、自動的に作り主を必要とします。というやつです。

さて、今回は物理学から考えてみたいと思います。

ちなみに、この辺は「宇宙は神が造ったのか?」という本から論理をいただいています。


物理学は、この宇宙をモデル化して記述する学問です。
良くそのモデルを方程式で表現するので、物理ではたくさん数式を使います。

さて、物理の方程式に出てくる、物理定数というものがあります。
この物理定数が、重力や核力や電磁力などのいろいろな力、
その大きさなどを決めているのです。

さて、問題はその物理定数の多くが、生物が生きれるように、
非常によく調整されているということが最近わかってきました。


重力を例にとって見ましょう。

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by creation_tsunya | 2010-02-26 02:57 | 創造論

創世記1:1から見る神様の愛

創世記1:1シリーズもこれが最後になりました。

『はじめに、神は天地を創造された』

この節から、創造主が持つべき性質などを詳しく見てきました。
繰り返しですが、それは永遠・自存・人格です。

さて、今日は『天地を』に焦点を当てたいと思います。

天地は英語で言うと「the heaven and the earth」
ヘブライ語原典では 「 את השׁמים ואת הארץ׃ 」(エト ハシュミーム ブエト ハエレツ)です。

英語がほぼ原典どおりに訳されていますので、英語を見ればわかりやすいと思います。
天とは空間としての役割を担うもの、物理学的に言えばxyz軸だといえます。
そして、地とは地球、つまり、私たちがいま足を乗っけている地球だといえます。

なんと、創世記によれば、地球が一番最初に作られるのです。
光さえないときのことでした。

私は、まだビッグバン理論の持っている危うさ、
現行の太陽系進化論の持っている危うさ、
さらに生物進化論の持っている危うさについて述べていません。
これを順々に述べるわけですけど、今は、それらは怪しさを持っているとだけ認識してください。

つまり、私たちが良く知っている、NHKスペシャルとかでよくやる、
地球の歴史46億年ていうやつは非常に危うい理論だということです。
私たちは、宇宙のでき方も知らないし、太陽系が出来上がり方も知らないといってよいのです。

さて、創世記は地球を一番最初に作ったと書いてあります。
これは非常に重要な意味を持っています。
つまり、地球が非常に特別な場所であると、聖書が言っていることになるからです。

地球が宇宙全体からしても非常に得意な存在であることも後で見ますが、
科学的な観測事実は地球が非常に特別で恵まれているということです。

聖書は、最初から地球を特別なものとして扱います。
人間が住む入れ物だからです。『天地』は人間が生きるに必要な入れ物なのです。


ビッグバン、太陽系進化、生物進化のもたらした、
大きなパラダイムシフトは何だったでしょうか?
それは、この宇宙が、この地球が、私たち人間が、
取るに足らないもの、別にどこにでもあるマイナーなものであるとしてしまったところにあります。

つまり、この世の造り主である神様の役割を排除して、
人間をその神様の統治から解放し、真の自由をもたらそうとしたのです。

しかし、歴史はそうならなかったことを物語っています。
それらの思想は、神様から人間を開放したかもしれませんが、
人間は別のものに縛られて生きるようになりました。
金に、名誉に、快楽に、罪に、そして人間自体に・・・。

進化論のもたらした社会的な影響は悲惨なものでした。

進化論は、社会主義を推し進めました。
進化論は、ドイツのナチスの思想基盤でもありました。
進化論は、世の中の悪い人たちの使い勝手の良い道具になったのです。

主なる神様からの解放は、人間を自由にするのではなく、
自身の罪にさらに強く縛られ、自由を奪う結果をもたらしました。

このすべての出発点は、宇宙を、地球を、
そして、人間を取るに足らないものと考えたところにあります。


しかし、聖書は真っ向からそれに反対します。
創世記1:1で作られたのは、宇宙であり、地球であったのです。
人間は、用意周到な6日間の創造の後に最後の日に作られます。
すべてが特別な存在として創造されたと書いてあります。

創造主は人格を持っていなければならないといいました。
この人格の基本的な性質は何でしょうか?

たとえば、熱帯魚を飼う事を考えましょう。
熱帯魚を飼うのは結構骨が折れます。
水槽を用意します、砂とか家とかを用意します。
水槽なんかはやして、そしてポンプも買います。
水もPHを図ったやつを入れなければなりません。
照明とか温度もこだわりが必要になります。

そうして初めて、すべての準備が整って初めて熱帯魚をその水槽に放すのです。
この時私たちはどのように熱帯魚を離すでしょうか?

「元気にそだってね」

この心で、離すと思います。
誰も「おまえ、今日から支配してやるからな!」といって離しません。
いろいろ、準備したのは、なぜですか?
熱帯魚が好きだからです。愛しているからです。
だから「元気にやってくれ」という気持ちで離します。

主なる神様も同じです。
特別な存在として人間を作ろうとされました。
そして、天地から造り6日間の創造をなさって最後に人間を作り離すのです。

この時の神様の心は、愛である以外ありません。

熱帯魚を飼う時にそれに関する道具をすべてを特注品で、
いや、自作して作ったとすれば、その愛はどれほど深いのでしょうか?

創世記1:1、天地を造られた、そのとき。
神様の心は愛でありました。
人間が生きるための入れ物、「天地」を自作ですばらしく特別に造られたのです。
一番最初にです。


勘違いしてはいけません。
別に地球の周りに太陽が回っている、天動説を復活させているわけではないのです。
主なる神様の関心の中心はどこにあるのか?ということです。
それは地球であり、人間であるのです。

つまり、ホーキングスが言った言葉、

「何千奥にも及ぶ銀河系のひとつのそのはずれに位置する、
きわめて平均的な星のマイナーな惑星に住む、
全く持って取るに足らない生き物が人間である。
だから神が人間のことを気にかけている、
あるいはわれわれの存在に気づいていることすら、私には信じがたい。」

というのは、聖書の言葉から完全に否定されるのです。
地球は、非常に特別な位置にあります。
実際的にも、また神様の意味合いにおいても。

人格的な神様の性質は愛です。
人間を愛し愛しぬかれた神様の愛が、既に創世記1:1に表されています。

これから、物理学、地球惑星物理、情報学、などなどから興味深いトピックをあげていきましょう。
途中で、科学と宗教の関係や、進化論に対するチャレンジなども含まれます。
ながいっすね。

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by creation_tsunya | 2010-02-24 00:45 | 創造論

創世記1:1続き

創世記1:1
『はじめに、神は天地を創造された』

『はじめに』だけで、かなりいきました・・・!
この始まりの科学的な考察から、はじめた主体である神という存在は、
永遠・自存・人格を持っている存在でなければならないのです。

創造主になれる条件がある程度決まっているのは、驚くべきことです。
論理一貫した枠組みの中で、神様というものが表されているのです。
つまり、神様だからなんだっていいじゃん、というものはできないのです。
ですから、聖書の神様は、理論的な帰結として創造者の役割を担うことができます。

これは私たちの印象とは違います。
神様といえば、なんでもありのオールマイティで、
あらゆる制限を受けるような存在ではない・・・と思いがちです。

しかし、実は創造主というものはある論理的な縛りをもった存在です。
驚くべきことに、聖書の神様が持っている性質が全くそれと一致しています。

ある縛りの中で、条件が一致しているというのは、
すなわち、その創造主が聖書の神様であると、
論理的な帰結としてイコールで結ぶことができることを意味しています。
私がそれであると、はっきりということができるように「調整」されているのです。


さて、今回は「神は~創造された」を見てみましょう。

この文章は、非常に面白い文章になっています。
主語である「神」は、エロヒームです。
ヘブライ語では、複数形で表現されている言葉です。

じゃあ、神々??え?聖書の神様はひとつじゃなかったの?
なんて言っている方、あせってはいけません。
ここで、神々と訳さなかったのは、理由があります。

動詞の「創造する」という単語「バラー」は、
単数の主体が動作するときの表現を使っています。

つまり、この文章、主語が複数にもかかわらず、動作は単数なのです。
これは、全く理解できない文章です。
創世記は文法的に間違ったのでしょうか?

そうではありません。
この文章を理解するためには、ある神学的な教理を理解しなければなりません。
いや、この教理は理解できないのですが、とにかく知らなくてはいけません。
つまり、それは三位一体です。

三位一体とは、神様は三位(三つの位格:人格に近い)を持ちながら、
一つの存在として働くという意味です。
父なる神、子なるイエスキリスト、霊なる聖霊の三位がありながら、
神様はひとつなのです。

はい、理解できません。というか理解できないのが自然です。
なぜって、これは信仰の問題なのです。
旧約聖書を認める一神教は、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教です。
しかし、三位一体を認めるのはキリスト教のみです。

どの教科書見ても、認識されて分類されてませんが、
この三つの一神教の神様は同じ神様ではありません。

ユダヤ教徒、イスラム教がこの創世記の文法的矛盾を、どう理解しているかわかりません。
しかし、キリスト教では矛盾とはみずに、三位一体を見ることで理解します。

つまり、こういう風になります。
複数で表現された神とは、まさしく三位一体の神様をあらわします。
三位がいるので複数で表現されているのです。
しかし、一体である、つまり神様はひとつなる方なので、
動詞は単数で表現されているのです。

『神は~創造された』から、三位一体の神様を見ることができるのです。


『はじめに、神は~創造された。』から、神様の大切な性質を導き出してきました。
それは、永遠・自存・人格・三位一体です。
もちろん、この世の中をスタートさせたくらいですので、
全知・全能であるというのはそんなに難しくありません。

創世記1:1のみことばから、神様の性質のほとんどを導き出すことができます。
これは本当に驚くべきことです。
聖書が一番最初から、ものすごい論理で、
すごい緻密な計算のされた伏線を張り巡らせていることになります。

まさしく、聖書は『神の霊の導きのもとに書かれ、』です。

この聖句をみて、かの新島襄はクリスチャンになりました。
そのくらいに、この聖句は重要です。大胆です。力があります。
主が、隠された大いなる計画。大いなる真理。
これを調べることは大きな祝福であります!!

さて、最後に『天地を』を詳しく考えて、神様の愛を引き出したいと思います。

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by creation_tsunya | 2010-02-20 00:05 | 創造論

宇宙の始まりは「無」?

まずは下の図を見ていただきましょう。
国立天文台がつくり、一家に一枚とうたっている「宇宙図」です。
(ちなみに、私はこの宇宙図を作った部署にインターンシップしてました^^)
f0213901_0341012.jpg

この左端に「無」という言葉が書いてあり、宇宙が「無」が出発したことが明記されています。

詳しい説明文を読むと、

「宇宙の始まりについて、ある説では、宇宙は「無」から生まれたとしています。
「無」とは、物質も空間も、時間さえもない状態。
しかしそこでは、ごく小さな宇宙が生まれては消えており、
そのひとつが何らかの原因で消えずに成長したのが、私たちの宇宙だというのです。
また生まれたての宇宙では、時間や空間 の次元の数も、いまとは違っていた可能性があります。」

と書いてあって、あるひとつの説でしかないことを明記していますが、
ポスター全体では「無」と大きく取り上げてあります。

ここで、しかし・・・といってその後の文章を見てみますと、
「ごく小さな宇宙が生まれては消えており」と書いてあります。

ん?生まれては消えて・・・?それって「無」なのか?と、
疑問に思った方は鋭いと思います。まさしく、そこが突っ込みどころです。

この状態を「量子真空」といいます。
量子真空では、エネルギーに揺らぎがあり、
ある確立でプラスになったりマイナスになったりしている状態です。
もちろん、平均的にゼロなので、真空といっているのですね。

この状態からは、偶然にエネルギーは生まれては消えています。

私たちは真空というと、何もない状態、「絶対無」を考えてしまいがちです。
しかし、量子真空は全く持ってそうではありません。

量子真空はマイナスのエネルギーが完全に満たされている。
目には見えませんが、エネルギーが満タンです。
そのエネルギーの海の表面で、ゆらゆらプラスとマイナスを揺らいでる状態です。

つまり、宇宙の始まりは、「無」ではなく量子真空という状態から始まったことになります。

では、量子真空はどこから来たのでしょうか?
量子真空もカラム論で言うところの、原因をもった結果物であるといえてしまうのです。
つまり、量子真空は宇宙のスタートにはなり得ないのです。

「無」という言葉のイメージが悪さをしているのですけど、
世の中に絶対無というものは考えることはできません。
そんな絶対無から有が出来上がることは、絶対にないのです。

有が出来上がるための「無」は、量子真空で見たように、
すごくいろいろ存在している、特別な無なのです。


『はじめに』でいろいろと議論してきましたが、
宇宙の始まりは、無でもなく量子宇宙論的な虚時間の球面でもありません。

なぜ、宇宙が存在するか?という明確な問いに対する答えは、
創造主がいるというものです。
しかも永遠・自存・人格を備えた方であります。

これは、現在観測された宇宙を哲学的、科学的に解析した結果です。
ほかの仮定は、いろんな意味での問題があり、それを採用することはできません。

創造主がいるという仮定ほど、
今現在、堅固にしてエキサイティングなものはないのです。


なぜ、聖書が「神」という存在を前提として書かれているのか?
なぜ、「神」という存在に対する説明を書いてから、天地創造の話に入らなかったのか?

それは、書かなかったのではなく、書く必要がなかったからです。

神様の性質は聖書を見れば、明らかになります。
聖書を見れば、主なる神様を知ることができます。
ですから、神様はこんな方です・・・と明記する必要は全くなかったのです。

こんなわかりにくい主は、意地悪な方でしょうか?
ちがいます。
エレミア書33:3を見てみますと、

『わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。』

「隠された」と書いてあるとおり、真理は隠されているのです。
なぜ?捜し求めるためです。

マタイ7:7
『求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。
そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。』

見つけたときの喜びはすばらしいものです。
聖書の約束は、求めれば必ず与えられるということです。
呼べば答えるということです。

聖書は私たちの目の前にあります。
創世記1:1の『はじめに』の4文字を考えるだけで、
この世界を作られた主なる神様の性質を知ることができます。

聖書は何文字あるのでしょうか?
どれだけ主なる神様の性質を知ることができるのでしょうか?
このすばらしい聖書をもっと深く知りましょう!!
それで、主なる神様の愛をもっと感じ取るのです。


さて、『はじめに』の黙想はこの辺で終わりにして、
次に言ってみましょう。『神は天地を創造された』です。

ここに、三位一体の神様。さらにこの世界を作った目的も探ることができます。

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by creation_tsunya | 2010-02-17 01:13 | 創造論

量子宇宙論

標準的なビッグバン理論が提唱され発展した時、ビッグバンの最初の状態、
つまり、宇宙の始まりがどうなっているかは、あまり議論されていなかったようです。
それは特異点であるとしか考えられていませんでした。

しかし、カラム論において議論したように、
宇宙に特異点という始まりがあったならば、
特異点を作った存在があることが自明となります。
さらにその方は、永遠で自存で人格を持っている・・・つまり神です。

さあ、無神論的科学者は非常に困った状況に追い込まれました。

その上で、この前に話題にした定常宇宙論、
また振動宇宙論などが考えられましたが、
(もちろん、思考の順番はどっちが先かは知る由はないです)
物理的に現段階の観測とは適合しないので廃れていきました。
(WMAP衛星による観測によって、定常宇宙・振動宇宙議論の余地がなくなりました)

ここに、一人の天才が現れます。
スティーブンホーキンスです。ホーキンスは、無神論者です。
あるテレビ番組のインタビューで、こう答えているそうです。

「何千奥にも及ぶ銀河系のひとつのそのはずれに位置する、
きわめて平均的な星のマイナーな惑星に住む、
全く持って取るに足らない生き物が人間である。
だから神が人間のことを気にかけている、
あるいはわれわれの存在に気づいていることすら、私には信じがたい。」

実はホーキンスは地球が非常に特別な惑星であるかどうかをよく知らなかったので、
地球をどこにでもあるマイナーな惑星だと考えているようです。
(だって、地球惑星物理学者ではないですから・・・
ちなみに、地球って惑星の中でもかなり特殊です。それはまた後で。)
この考えから、彼は無神論的世界観にもとづいて物理学を勝負します。

彼は、特異点問題を回避する天才的な宇宙論を提唱しました。
それが量子宇宙論です。
私の頭では理解できませんが、これはすごい理論です。

彼は、点であった宇宙の始まりを、球面にしてしまいました!
バトミントンの羽を考えて見ましょう。
f0213901_20462258.gif

この羽の先は球面になっています。
バトミントンの羽の先へどんどん行こうと下へいくと、
いつの間にか、先っぽを通り過ぎて(先を認識せずに)上に上ることができます。

宇宙のはじまりは、このように境界や縁がない球面であるとしたのです。
そうすれば、宇宙の始まりは真空状態からの量子的な揺らぎによって、
「無」から偶然始まっても良いということになりました。

なんと、創造主の出番をなくしてしまったのです!
すごい、ホーキング博士!!

しかし、ある物理量を導入する必要がありました。
それは虚時間です。

虚数は、二乗するとマイナス位置になる数字です。
実際にはこの世の中では存在しない、数学上の概念的な数です。
しかし、非常に有用な数であり、量子力学はこれにより支えられています。

量子力学においても、実際の物理量を出すときは、
虚数の絶対値を取り、実数として計算しなければなりません。
虚数はあくまでも、便宜上の数であり、
計算しやすさのためのもの、それこそ虚像なのです。

しかし、ホーキンスは量子宇宙論において実数への変換をしませんでした。
なぜかって?
そりゃあ、実数に変換したとたん、そこには特異点が復活するからです。
宇宙の始まりを量子揺らぎからのスタートとして、特異点を避けたのですが、
結局、実数にしたら特異点が存在することになってしまった、のです。

ですから、量子宇宙論では虚時間は虚時間のまま、
宇宙のスタートの数学的な記述にとどまり、物理学的な実際の記述は避けています。
虚時間導入の科学的根拠はゼロでした。
ホーキンスは、自分の無神論的世界観に照らし合わせた宇宙論を構築したに過ぎなかったのです。

私たちは、もはや避けられない事実に直面しているのです。
宇宙には始まりがあるということです。
これは、科学的な観測データから基づいた、帰結です。

宇宙、つまり時空に始まりがあれば、それをスタートさせた存在が必要になるのです。
再三にわたって書きましたが、それは永遠、自存、人格を備えた存在。
つまり、ぴったり聖書の神にあたるのです。


次回は、『はじめに』というものの締めくくりとして、
「無」というものをもっと詳しく議論して、
唯物論的進化論が窮地に立たされることを示しましょう。


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by creation_tsunya | 2010-02-15 20:47 | 創造論

宇宙の始まりの問題

前回から宇宙の始まり、創世記1:1に関して書いています。
『はじめに』のところで、たくさんの議論をしていくわけです。

さて、なぜ科学者は宇宙を無限だと思っていたのでしょうか?
何の証拠があったわけでもなく、
このような宇宙観を持ったのは、からくりがあります。


さて、世の中には因果関係というものがあります。
一般的には次のように理解されています。

すべてのものには、それが生まれる原因がありその結果として存在する。

というものです。
(どうも、「或る一定条件では」という記述を加えるのが最近の趨勢らしいです)
これを少し詳しく議論したのは、なんとイスラム教徒でした。

え?なんで?といわれる方もいるかもしれませんが、
イスラム教でも創世記を認めますので、
イスラム世界でも宇宙の始まりの議論は活発なのです。
(世界の一神教と呼ばれる3つの宗教が、創世記を認めているというのは偶然ではありません。)

そのなかで、因果関係においてこのような議論がされました。

なんであれ、存在に始まりがあるものには、存在の原因がある。

すべて、時間的なスタートがあったものは、原因があるということです。
ここでちょっと考えて見ましょう。
今見えているすべてのものは、みんなスタートがあったものですから、
それに対する原因があったはずです。
その原因であるものも、スタートしているはずですので、原因の原因があります。

この論法でずっと行くと、この世界がいま成り立っているならば、
世界の一番最初の原因、つまり、スタートがない存在、超原因が必要となります。

これを原因と結果を亀の子に比喩して、次のような図が作られています。
f0213901_17511082.jpg

亀が親亀、さらにおじいちゃん亀、曾じいちゃん亀、曾曾じいちゃん亀・・・・。
最後に、超原因である「スーパータートル」に達するというものです。

スーパータートルに求められる性質は何でしょうか?
ほかでもない、スタートがないという性質、つまり「永遠性」です。
永遠性というと、その存在には原因がない・・・ということになり、
自動的に、自ら存在するという性質がくっついてきます。「自存性」ですね。

さらに、スーパータートルは「人格」を持たねばなりません。
なぜですか?

或るものが存在している、ということに対しては二つの説明をなすことができます。
科学的説明と人格的説明です。
科学的説明は、ある特定の初期条件や自然法則からその事象を説明します。
人格的説明は、かかわった人物の意志から事象を説明します。

なんで、コップに水が入っているんだ?という事象を考えて見ましょう。
科学的説明は、気温が23度で水は、液体の状態で存在し、
コップという剛体によって支えられているから。とやるでしょう。
人格的説明は、水がのみたくてコップに汲んだんだ。となります。

さて、これを宇宙の始まりに適用してみましょう。
そこは、なんと時間さえないところ、空間もないのです。
つまり自然法則とか、初期条件とかいう概念さえありません。
ここに科学的説明を適応できるでしょうか?
答えは、無理です。

宇宙の始まりの問題を議論するときは、科学的説明は適応できないのです。

そこは、人格的な説明のみが適用できます。
つまり、宇宙に始まりがあったとするならば、
人格的な存在がそのスタートであった・・・と自動的に導かれるのです!

宇宙に始まりがあったとするならば、宇宙には超原因が必要です。
それは、永遠であり、自存であり、人格であります。
この三つを兼ね備えているのは、言うまでもなく聖書の神様です!
イエスキリストは、こういいました。

『イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」』ヨハネ8:58

『私はある』という宣言は、自分が永遠であり、自存であることを示した言葉です。
もちろん、イエスキリストは、人格を持っている方でありました。

この言葉はすなわち、イエスキリストが、自分が創造主の神であると宣言した言葉です。


さて、宇宙に始まりがあるとすれば、そこからスーパータートルは創造主の神様であり、
聖書の指し示す神様、もっと言えば、イエスキリストであることは論理的帰結です。
(もちろん、新約聖書を否定すれば、イエスキリストまでは到達できないですが。)

13世紀の神学者、トマスアクィナスはこういっています。
「宇宙に始まりがあったという前提からスタートするなら、
神の存在を証明する自分の仕事はあまりにも簡単すぎる」と。


ここでの前提は、「宇宙に始まりがあるとするならば」です。
無神論者的には、宇宙に始まりがあると、
創造主の存在を考えなくてはいけないので、都合が悪いのです。

で、宇宙は永遠であると、考えました。
前提を崩せばよかったのですね。
宇宙が永遠なら、それが超原因になればよいのですから。

このようなからくりによって、定常宇宙論が議論されました。

しかし、これには、ひとつ足りない議論があります。人格です。
宇宙に人格を持たせるというのは、なんとも不思議で、何の根拠もありません。
(私は、とある大学で「宇宙には心がある」というシンポジウムを見つけました。
無神論的な科学者は、これをまじめに考えています。)
すでに、よくわからない議論です。
無神論という自分の主張を通すために、危ない前提の橋を渡ってしまっているのです。


私の立場からすれば、創世記1:1の記述は正しいと信じています。
この前提から、創造主は私の主、私の神。イエスキリストです。
この堅固な岩から離れれば、いろいろ複雑なことを考え始めます。


定常宇宙論は、ビッグバン宇宙論が趨勢となった今では、廃れました。
では、ビッグバン宇宙論では、宇宙の始まりを認めているのでしょうか?
とすれば、科学者は全員、創造主を認めねばならないのですが・・・。

残念ながら、そうはなっていないようです。
天才物理学者スティーブンホーキンスはこういいました。
「宇宙が全くの自己完結的であり、境界や端を持たないのであれば、
宇宙には始まりも終わりもないことになる。だとすれば、創造主の出番はどこにあるのでしょうか?」

次は、彼の天才的な宇宙論、量子宇宙論についてみていきましょう。

P.S.
書いても書いても、議論足りないです。奥深すぎですね~。

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by creation_tsunya | 2010-02-13 18:37 | 創造論

創世記1章1節のすばらしさ

創世記1章1節は、素晴らしい聖句です。

新共同約では、「はじめに、神は天地を創造された。」
NIVでは「In thebeginning, God created the heavens and the earth.」

聖書の始まりの聖句であり、
この世界の始まりの様子を描写する聖句でもあります。
この中には、主なる神様の素晴らしい性質がたくさん隠されている箇所です。
それぞれ、分かち合っていきましょう。たぶん、何回かに分けていこうと思います。

まずは、『はじめに』のこの部分です。
(この部分だけで多分、相当なトピックがあります。聖書は奥が深い!)

聖アウグスティヌスは、
この聖句から(とはいえないんでしょうが・・・)次のようなことを悟りました。

『神は「永遠の現在」の中にあり、時間というのは被造物世界に固有のものである』

『はじめに』が、時間の創造であることを、はっきりと認識した教父でありました。
4世紀にこんなことを悟ってしまうのは、やはり彼は主に選ばれた人でした。

時間に始まりがある、という概念は今では、
物理学者の間では常識的になっています。
しかし、それは20世紀にやっと発展したものです。

私は、現行のビッグバン理論を認めてはいませんが、
ビッグバンは科学者におおきなパラダイムシフトを引き起こしました。

それは、

『時空に始まりと、終わりがある』、ということです。

時空とは、空間と時間の4次元空間を表しています。
つまり、時間軸にも始まりがあった、ということを明確に表現したのがビックバンでした。
それまでの、宇宙観はというと、「定常宇宙論」が主に考えられていました。
これは、宇宙は広がることなく無限な存在だ、
(無限とは、始まりと終わりがないと言う定義)とするものです。

かのアインシュタインでさえ、
その方程式に定常宇宙にするための「宇宙項」というものを導入し、
あれは失敗だったなんていっています。
(ちなみに、現行ビッグバン理論ではこの「宇宙項」が復活し、重要な役割を持っている)

聖書は明確に、この世界には始まりと終わりがあることを言っています!!

定常宇宙論からビッグバン宇宙論への転換は、
聖書的な世界観に科学的な宇宙観が近づいた、歴史的な一歩でした。
(もちろん、私はビッグバン宇宙論はまだ不完全で、
もう一つパラダイムシフトがあるとにらんでいます。それについては、また後で。)

20世紀の科学がやっと到達した宇宙観に、
4世紀のアウグスティヌスは聖書を研究することによって到達していたのです。
すごいでしょう?


それでは、なぜ聖書的な世界観を離れ、
宇宙が無限であるなんて世界観を持っていたのか?
ここは、主なる神様の性質の中でも、
『永遠性』と『自存性』が関連してくる問題です。
そして、神様の『愛』へとつながっていきます。次回を乞うご期待。

トピックは、カラム論、ビッグバン宇宙論、量子宇宙論などもりもり出てきます。

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by creation_tsunya | 2010-02-12 17:36 | 創造論

創造論についてかんがえよう!

ども~、tsubitaです。
創造論についての記事を独立させることにしました。
もっと深く、創造論についてつらつら書こうと思います。

さて、まずは創造論の定義と周辺の勘違いを抑えておきたいと思います。

このブログで扱う創造論とは、
「創世記11章までの先史時代の聖書記述が正しいという科学的な証拠を検証する」

というものとします。
ここでやりがちな勘違いは、創造論は聖書が正しいことを科学的に論証する・・・わけではありません。
創造論は聖書が正しいという科学的な証拠を持ってくることしかできないわけです。
あとでトピックとして出しますが、科学は非常に不確かであり、あいまいなものです。
それが良いか悪いかのジャッジは、私たちが個人的にしなければなりません。

残念ながら、科学は歴史を扱うことはできません。
創世記の内容は歴史なので、それ自体を科学することはできないのです。
誰も、天地創造を科学的に説明することはできません。
これは思考から逃げているわけではなく、
「説明ができない」のがあたりまえであり、論理的なのです。

この辺は進化論もおなじです。
実際に進化してきたという歴史を扱うとき、それは非常に弱くなります。
このように進化してきたのではないか?とはいえるかもしれませんが、
このプロセスで進化したはず!とは絶対に言えないのです。


創造科学ではありますが、聖書を扱うため神学の議論もします。
進化論についても扱います。もちろん批判的にではありますが・・・。

重たいものから、軽いもの。
専門的なものから、非専門的なものまで、
たくさんのトピックを扱いますのでお楽しみに。
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by creation_tsunya | 2010-02-11 23:12 | 創造論



福音的な立場で創造論を考えていこう

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