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創造論を考えよう at 東京ビリングストーン教会

有神論的進化論パート3

今回考えるのは、死の問題です。

人間が、共通祖先を持って進化してきたとするのであれば、
人間が死ぬ前に、何万世代という動植物の死が存在したことになります。

聖書は、創世記3章でどのように言っていたのかご存知ですね。

『お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。
塵にすぎないお前は塵に返る』創世記3:19

創世記3章では、アダムが罪を犯したから、土は呪われ人間は死ぬ存在となったと書いてあります。
ここから「死」というものが始まるのです。
「死」の原因が「罪」の問題であるからこそ、逆説的に人間には救いがあるのです。
イエスキリストによって救われるということは、罪の赦しであり、
それは死の問題の根本的解決法なのです。

だから、

『神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。』ヨハネ3:16

この宣言が大胆に聖書ではなされているのです。
罪から出発した「死」の問題の解決は、罪の赦し、つまりイエスキリストを信じることにあり、
それを通して、死から生へ、永遠の裁きから永遠の命へとうつっているのです。

アダム以前に死があったんだとすれば、死の根本的原因はなんだったのか?
なぞになります。
何のために、イエスキリストが死んだのか?理由がわけ分からなくなります。

聖書以外で、人間の死の根本的理由を述べた書物はありません。
「死」は明らかに、「罪」が原因であるのです。

よって、人間が生まれるまでにたくさんの死が必要な進化論は、
神学的に受け入れることが出来ません。
これは、イエスキリストの十字架の死の神学を根本から覆してしまうのです。


さらに、「死」を乗り越えた存在としてのイエスキリスト、
復活した、正確には復活させられたイエスキリストの神学も弱くなります。

私たちの永遠の命の証しは、イエスキリストの十字架の死と復活にしかないのです。
これが揺らぐ神学は受け入れる価値はありません。

ペテロがこういっています。

『あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、
キリストによって信じています。
従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。』1ペテロ1:21

進化論が、人間以前にたくさんの「死」を必要としている限り、
聖書の神学と真っ向からぶつかります。
しかも、それは私たちの希望である、救いに関する神学、
永遠の命に関するものの意味を陥れるのです。

この意味で、進化論は神学的に受け入れることは出来ない思想なのです。
私たちが、イエスキリストに希望がない、
もしくわ、薄いとするのであれば、私たちに生きている意味があるでしょうか?
そんなものは、ないのです。
有神論的進化論は、ここで破綻をきたすのです。

さらに、ノアの箱舟の問題にも関連していきましょう。

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by creation_tsunya | 2010-05-26 21:14 | 創造論
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