創造論を考えよう at 東京ビリングストーン教会

進化論は宗教の時間に学びましょう

進化論を学ぶにベストな時間は宗教の時間です。
なぜでしょうか?

進化論者たちは、どうも気がつかないのか、
気づいても意図的にかくしているのか分かりませんが、
進化論という科学(私から言わせれば自然科学ではない)は、
暗に創造主を排除しているということです。
つまり、唯物論的で、無神論的な信仰の土台にたって構築されているのです。

その前提自体に創造主という存在の可能性を認めていないので、
そんな進化論から見れば、創造論は似非科学ということになります。
当たり前ですよね。
創造主を否定している土台から、創造主を認めている論理を見ているんですから。

そんな進化論者たちから、創造論はキリスト教的な信仰だよね?とかいわれるんです。
いやいやいや、進化論自体が、無神論的信仰だっつーのに!
と突っ込みたくなります。

進化論は、自然科学のようなフリをして多くの論文を出し、
進化過程を裏付ける決定的証拠だ!なんて論文が沢山あるわけです。

最近多い論文は何か知っていますか?
進化論は、常に利他行為を認めることが出来ないが、最近そうではないとされつつあります。
利他的行為を示す群のほうが適応度が高くなる傾向があるという主張がブームです。
つまり、人間に見られる利他行為は進化の産物だともいえると主張したいのです。

しかし、このあたりは、すでに進化論者からも批判が出ていますが、
何でもかんでも利他行為に当てはめるのはよくないと。
進化論はブームに流されやすいのもです。


このような、趨勢の中で創造論的な論文を出して査読されたらどうなると思いますか?
その査読は通らない可能性が高いのです。いや、間違いなく通らないですね。
査読者は権威ある博士たちですから(その権威はもちろん進化論者が握っているのです)、
本当に科学というものの限界を分かっている人たちでなければ、はなっから読みもしないでしょう。

こんなからくりで、ID論を擁護する査読付き論文なんてものは存在出来なくなります。
進化論が広く受け入れられている世界で、
有神論的な仮説を立てるのはドン・キホーテ以外の何者でもないのです。


実際、アメリカでは、創造論を指示すると宣言した教授が、
何人も大学や教育界から排除された問題が起きてドキュメンタリー番組になりました。
(この番組で始めてドーキンス博士の生声を聞きました^^)

そもそもの前提としている土台が違うので、議論もダメだったわけです。
創造論者たちには非常に分が悪く、肩身が狭いのがいまの科学界です。

宇宙論でも同じようなことが起きています。
宇宙って、一つなので(これも諸説あるのですが、とりあえず観測できる宇宙は一つです)、
宇宙の歴史なんてものは、科学の問題ではないんですが、
現行ビッグバンは、暗にそれを含んでしまっています。

量子宇宙論、インフレーション宇宙論なども、無神論的な立場から今のデータを見たら、
そのような仮説を立てることが出来るというだけであって、
有神論的な立場からデータを解析、仮説を立てようとする試みも出来るのです。

実際、そのような物理を構築することも可能です。
ホワイトホール宇宙論というらしいですが、発展途上・・・ですね。
残念ながら、それはビッグバンに比べると説得力の欠けるものになっています。
だって、研究人口が違いすぎますもの!


見てきたように、進化論だとか、宇宙論だとかのフロンティア研究には、
創造主に対する信仰が大きな役割をしています。

真に平等な立場を取るとすれば、
創造主がいるいないという問題は、どちらを自由に選択してもよいはずです。

創造論が、創造主の存在を信じていると同じように、
進化論は、創造主が存在していないことを信じているはずです。
このように、同じ舞台でお話すればよいのではないでしょうか?

理論の中に、必ず創造主のいるいないを議論しなければならない論は、
やはり、宗教の時間に学ぶべきものであるといえます。


さて、問題をまとめます。

科学は真理ではありません。非常に不確かであいまいなものです。
科学は事実でもありません。事実に人間の思想(時に信仰)を着せたものです。

科学の弱点はデータが少ないとき顕著です。
歴史というのは科学することは出来きません。

よって、進化論、宇宙論、創造論などにおいて、
歴史を扱う分野は、宗教の分野での議論も必要となってきます。


さて、このような状況で、もう一つの主流がアメリカから出ました。
これは昔から考えられていたものでしたが、
ID論が裁判で負けたので、多くの科学者がこちらに移ってきたといえます。

それは、有神論的進化論と呼ばれるものです。
進化過程を創造主が導いている、とするものです。
いま、科学者が考えている進化論、宇宙論をそのまま受け入れて、
その仮定を創造主が主権を持って導いているのだ!という主張です。

非常にセンセーショナルな主張です。
全てにおいて、何の矛盾もなくなる様に見えます。
しかし、これは、神学的な落とし穴を作ってしまう危険があるのです。
次回にそれを見たいと思います。

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by creation_tsunya | 2010-05-22 23:33 | 創造論
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福音的な立場で創造論を考えていこう

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