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創造論を考えよう at 東京ビリングストーン教会

ベイズ理論による奇跡の評価と信仰 続編

さて続編です。

ベイズ理論に対する批判のひとつとして、事前確率に主観確率を使う点が上げられています。
先ほどの、病気の検査の話では、病人がいる確率を勝手に決めているという点において、
その確率に客観性がなく実際のデータを反映していないという批判です。
これは、ごもっともなことです。

しかし、実際は、迷惑メールの振り分けのように、何度かベイズ定式を適用して、
主観性を持った事前確率を、実際の事実に基づく事後確率に変換して、
学習させていく(絞り込んでいく)というプロセスを経るため、問題は生じません。

何回かの事象を経れば、事後確率はかなり正確な値を取ることができます。
もちろんスパムメールの振り分けは完璧ではないですね。
私もなんどか、本物がスパムと判断されて、やられました・・・。


それで、奇跡の問題を考えるときは、この主観確率っていうものが有効なものになります。
さて、トランプゲームを考えて見ましょう。

トランプを2回引いて両方ともハートのエースである確率は、1/2704です。
なかなかありえない確率です。
しかし、ここでちょっと細工しておきます。
実は、1/100の確率で全部ハートのエースであるトランプセットを紛れ込ませておくのです。

こんな状態で、実際にハートのエースを2回引いてしまいました!
さて、この時細工されたトランプセットを用いていた確率はどうなるでしょうか?

計算しますと、
ハートのエースを2回引くという確率は、二つの場合に分かれます。
普通のトランプセットから2回引く、細工されたトランプセットから2回引く・・・です。
それぞれ確率は、99/100×1/2704、1/100×1、この足し算が分母です。
分子は、実際に細工されたトランプセットだったという確率ですから、1/100です。

と言うことで、ベイズ定式に入れますと、事後確率は、
P(B|A)=1/100/(99/100×1/2704×1/100×1)~0.96
なんと96%で、細工されたトランプセットを引いた!と言うことが定性的に議論できます。

これは、人間の思考と非常にマッチングしています。
1/2704の確率でハートのエースを2回だすのはありえないことです。
しかし、実際にそれが起こってしまっているので、
これは細工されたトランプセットであるに違いない、と考える思考手順と同じです。

数式にすると、この「であるに違いない」というあいまいな表現が、
96%と言う具体的な数字になっているだけです。


さて、奇跡の問題を考える前に、細工されているベイズ定式を考えるときは、
以下のようにその公式を書き換えることができることに注目することができます。

P(B|A)=P(C)/((1-P(C))×P(A')+P(C))
ここで、P(C)とは細工されていると思う主観確率です。

つまり、事後確率はP(C)の関数としてあらわにされるというのがミソです。
(文系の方、すいません。)

たとえば、がんが癒されるという奇跡を考えて見ましょう。
がんが自然治癒される確率は、ほぼゼロです。
100万分の1か、1000万分の1か、それよりぐっと少ないでしょう。

P(B|A)=P(C)/((1-P(C))/1000000+P(C))とかになります。
つまり、ここでP(C)をそれが細工されていると思う確率、つまり奇跡であるという主観確率を、
どう評価するかによって、この事後確率は変わるわけです。

実はP(C)がP(A')と同程度で事後確率は50%、2倍で67%、10倍で91%になります。
急激にP(A')と比べて少しでも大きくなれば、急激に1に近づくのです。
グラフにしてみました。論文っぽいな~。
f0213901_2151220.jpg

この図はP(A')を100万分の1に調節してあります。グラフ上では10-6乗のところです。
大きいグラフは、縦横ともに特別な軸にしてあります。
logスケールってやつですが、まあ、気にしないでください。
見てみますと、事前確率がP(A')程度までは、事前確率に比例して事後確率が伸びてきます。
ただ、事前確率がゼロに近い10-7乗だとしても、事後確率は0.1もあります。
ちなみに、linearスケールで見ますと、ほとんど全域で1に近い値です。


つまり、実際に100万分の1の確率で癒されるがんだとすれば、
細工された奇跡が起きる確率が、10万分の1だけ心で思っていても91%奇跡だと断言できます。
ほんの少しの主観確率があれば、目の前で自然治癒してしまったがんは、
それが何らかの細工された奇跡やらドラマ、ある意味ペテンだった可能性はかなり高いのです。

つまり、確率論的には、ありえない事象が起こったら、
それはほとんどの場合、裏に何かあると考えてよいことになります。
がんが自然治癒された!事件が目の前で起こったら、
それは偶然ではなく、何か外的な力が働いたと数学的に考えてよいのです。

要するにすごいのは、奇跡が数学的にも認められる!ことです。


ただ例外があります。
奇跡なんてないと主観確率をおく場合、つまり事前確率が0である場合は例外です。
この時は、がんが癒されたのは、完全な偶然だったと考えることができます。
だって、事前確率が0なら事後確率も0ですから・・・。

これは何を意味するのでしょうか?
つまり、次のみことばをベイズ理論は数式化に成功したと言えます。

マタイ13:13
『見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。』

ファリサイ派たちは、イエスキリストのすべての奇跡を見たにもかかわらず、信じませんでした。
これは、イエスキリストの奇跡に問題があったのではありません。
ファリサイ派の人々は、イエスキリストのすべての御業に対して事前確率が0であったのです。
最初からイエスキリストがメシアであることなんて信じようと思っていなかったのです。
信じようとしていなかったので、信じることができなかったわけです。

ラザロと金持ちのところでもこういうみことばがあります。

ルカ16:31
『アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、
たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」』

モーセと預言者に耳を傾けないのなら、つまり、モーセや預言者の話を信じようとする心がなければ、
死者の中から生き返るという奇跡的なことが起きても、信じないということです。
事前確率が0であるなら、事後確率も0なのです。


神を見れば信じるという人が時々います。しかし、彼らに神を見せてもだめなのです。
彼らに信じる心、奇跡を受け入れる心がなければ、奇跡は彼らには無意味なものとなります。

このことは、聖書における真理です。
聖書は、信じようと思う人には信じることができて、信じようと思わない人は信じることができないのです。
心を開くことが重要であるのです。

黙示録3:20
『見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。
だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、
わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。』


私は、いままでベイズ理論で、奇跡と言うものを数式化しようとしました。
なぜベイズが主観確率に基づく確率論を定式化しようとしたか?
それは明言されていませんが、ベイズは、信仰の問題を定式化しようとしていたのではないでしょうか?

ベイズ理論で奇跡を定式化するとき、聖書の真理にぶつかります。
信仰とはどのようなものであるのか?私達のなすべきことは何なのか?それが見えてきます。
強いメッセージを語ることができるのです。
牧師である彼は、それをやりたかったのではないか?と勝手に思っている私であります。


創造論ばかり話してきました。
次は少しずつ進化論について離したいと思います。
私は思います。
聖書に創世記1章がなかったら、進化論を有効的な仮説として選んでも良かったと思います。
その論理はある程度堅固ですし、納得いくところもあります。
しかし、残念ながら、それには数々の欠陥があるのです。

P.S.
私はこのように創造論を議論して、主なる神様の真実性。
聖書の真実性を論証していきます。

しかし、この明らかな結論、つまり聖書は正しいということを目の前に突きつけても、
たとえどんなに詳細に議論しても、信じない人は信じないのです。
それは、事前確率が0だからです。つまり、信じる気がさらさらないからです。

信じるにはどうすればよいのか?事前確率を0で無くせばよいだけです。
心を少し、変えれば良いのです。
残念ながら、それは議論でできるものではありません。
聖霊様の働きがなければできないことです。

これを読むすべての人の心が代わることを切に祈っています。

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by creation_tsunya | 2010-03-12 21:14 | 創造論
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