創造論を考えよう at 東京ビリングストーン教会

創世記1:1から見る神様の愛

創世記1:1シリーズもこれが最後になりました。

『はじめに、神は天地を創造された』

この節から、創造主が持つべき性質などを詳しく見てきました。
繰り返しですが、それは永遠・自存・人格です。

さて、今日は『天地を』に焦点を当てたいと思います。

天地は英語で言うと「the heaven and the earth」
ヘブライ語原典では 「 את השׁמים ואת הארץ׃ 」(エト ハシュミーム ブエト ハエレツ)です。

英語がほぼ原典どおりに訳されていますので、英語を見ればわかりやすいと思います。
天とは空間としての役割を担うもの、物理学的に言えばxyz軸だといえます。
そして、地とは地球、つまり、私たちがいま足を乗っけている地球だといえます。

なんと、創世記によれば、地球が一番最初に作られるのです。
光さえないときのことでした。

私は、まだビッグバン理論の持っている危うさ、
現行の太陽系進化論の持っている危うさ、
さらに生物進化論の持っている危うさについて述べていません。
これを順々に述べるわけですけど、今は、それらは怪しさを持っているとだけ認識してください。

つまり、私たちが良く知っている、NHKスペシャルとかでよくやる、
地球の歴史46億年ていうやつは非常に危うい理論だということです。
私たちは、宇宙のでき方も知らないし、太陽系が出来上がり方も知らないといってよいのです。

さて、創世記は地球を一番最初に作ったと書いてあります。
これは非常に重要な意味を持っています。
つまり、地球が非常に特別な場所であると、聖書が言っていることになるからです。

地球が宇宙全体からしても非常に得意な存在であることも後で見ますが、
科学的な観測事実は地球が非常に特別で恵まれているということです。

聖書は、最初から地球を特別なものとして扱います。
人間が住む入れ物だからです。『天地』は人間が生きるに必要な入れ物なのです。


ビッグバン、太陽系進化、生物進化のもたらした、
大きなパラダイムシフトは何だったでしょうか?
それは、この宇宙が、この地球が、私たち人間が、
取るに足らないもの、別にどこにでもあるマイナーなものであるとしてしまったところにあります。

つまり、この世の造り主である神様の役割を排除して、
人間をその神様の統治から解放し、真の自由をもたらそうとしたのです。

しかし、歴史はそうならなかったことを物語っています。
それらの思想は、神様から人間を開放したかもしれませんが、
人間は別のものに縛られて生きるようになりました。
金に、名誉に、快楽に、罪に、そして人間自体に・・・。

進化論のもたらした社会的な影響は悲惨なものでした。

進化論は、社会主義を推し進めました。
進化論は、ドイツのナチスの思想基盤でもありました。
進化論は、世の中の悪い人たちの使い勝手の良い道具になったのです。

主なる神様からの解放は、人間を自由にするのではなく、
自身の罪にさらに強く縛られ、自由を奪う結果をもたらしました。

このすべての出発点は、宇宙を、地球を、
そして、人間を取るに足らないものと考えたところにあります。


しかし、聖書は真っ向からそれに反対します。
創世記1:1で作られたのは、宇宙であり、地球であったのです。
人間は、用意周到な6日間の創造の後に最後の日に作られます。
すべてが特別な存在として創造されたと書いてあります。

創造主は人格を持っていなければならないといいました。
この人格の基本的な性質は何でしょうか?

たとえば、熱帯魚を飼う事を考えましょう。
熱帯魚を飼うのは結構骨が折れます。
水槽を用意します、砂とか家とかを用意します。
水槽なんかはやして、そしてポンプも買います。
水もPHを図ったやつを入れなければなりません。
照明とか温度もこだわりが必要になります。

そうして初めて、すべての準備が整って初めて熱帯魚をその水槽に放すのです。
この時私たちはどのように熱帯魚を離すでしょうか?

「元気にそだってね」

この心で、離すと思います。
誰も「おまえ、今日から支配してやるからな!」といって離しません。
いろいろ、準備したのは、なぜですか?
熱帯魚が好きだからです。愛しているからです。
だから「元気にやってくれ」という気持ちで離します。

主なる神様も同じです。
特別な存在として人間を作ろうとされました。
そして、天地から造り6日間の創造をなさって最後に人間を作り離すのです。

この時の神様の心は、愛である以外ありません。

熱帯魚を飼う時にそれに関する道具をすべてを特注品で、
いや、自作して作ったとすれば、その愛はどれほど深いのでしょうか?

創世記1:1、天地を造られた、そのとき。
神様の心は愛でありました。
人間が生きるための入れ物、「天地」を自作ですばらしく特別に造られたのです。
一番最初にです。


勘違いしてはいけません。
別に地球の周りに太陽が回っている、天動説を復活させているわけではないのです。
主なる神様の関心の中心はどこにあるのか?ということです。
それは地球であり、人間であるのです。

つまり、ホーキングスが言った言葉、

「何千奥にも及ぶ銀河系のひとつのそのはずれに位置する、
きわめて平均的な星のマイナーな惑星に住む、
全く持って取るに足らない生き物が人間である。
だから神が人間のことを気にかけている、
あるいはわれわれの存在に気づいていることすら、私には信じがたい。」

というのは、聖書の言葉から完全に否定されるのです。
地球は、非常に特別な位置にあります。
実際的にも、また神様の意味合いにおいても。

人格的な神様の性質は愛です。
人間を愛し愛しぬかれた神様の愛が、既に創世記1:1に表されています。

これから、物理学、地球惑星物理、情報学、などなどから興味深いトピックをあげていきましょう。
途中で、科学と宗教の関係や、進化論に対するチャレンジなども含まれます。
ながいっすね。

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by creation_tsunya | 2010-02-24 00:45 | 創造論
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